「五十音図」に属する音・2

音韻[013]___

「カ」について

◇「カ行音」

人類の言語音は、先ず母音とk音を中心とする子音から始まったと思われます。猿類の鳴き声がヒト語の祖、そう考える事に無理があるでしょうか。

 カ   キ   ク   ケ   コ   《直音》
 キァ キィ キウ キエ キオ  〈イ拗音〉
 クァ クィ クゥ クェ クォ  〈ウ拗音〉
 ンカ ンキ ンク ンケ ンコ  〈予唸音・ン〉

 

 

*「カ」の転化

人が発する声音は色々な音に移ります。カの音には直音のカ以外に、拗音も使われていたようです。カはキァ(キャ)とクァ(ク)がありますが、ここから更に移ります。

・「キァ」
 カ→キァ→キァウ→キォウ(キョウ)
       チァウ(チャウ)→チォウ(チョウ)
       イァウ(ヤゥ)→ヨ、ヒァウ(ヒョウ)
       チゥ→チ→ツォ(ト)

・「クァ」
 カ→クァ→ファ(ハ)→ブァ(バ)→ムァ(マ)
      ↓     プァ(パ)
       ウァ(ワ)→ヴァ(バ)
 カ→クァイ(カイ)→ファイ(ハイ)

 カ→タ→タン(ダン)→トオ(ドオ)

※カからタに移るのは様々な語を見ていく中で、間違いの無いところですが、正直に言ってカ(ka)からタ(ta)への変遷ルートは、はっきりしません。(※ ア→ ア→タ?かも)

 

・「カ」が元の音字例 ( ※ 青字は和語 )
クァ(カ)・加、迦、何、鹿
キァウ(キョヨウ)・京、香、今日
チァウ(チョウ)・長、蝶、諜、
ヒァウ(ヒョウ)・表、平、瓢、
イァウ(ヨウ)・用、葉、
タウ(トウ)・島、、 ダウ(ドウ)・堂、動、
ファ(ハ)・波、婆、
バ(ブア)・婆、、 マ(ムア)・間、麻、

 

・「今日〔キウ〕」という字音
太陽を表わすはキであり、ここから転じた「ヒ」の音になりますが、dayの意のは通常「カ」の音を使う。二日〔フツ、三日〔ミッですね。

但し、本日をいう場合のカは、カ→キァ→キウと転じた音で表わし、表記はの前にを付けた「今日」と書き慣わします。

つまり、「今日」と書いてキョウと読む謂れは、日を表わすカの転化形・キャウ(転じてキョウ)の音に、意味を示す「今」の字を乗せただけの事です。

 

・「カ」から「ハ」へ
ハの音が含まれる言葉は沢山ありますが、その多くがカからの転化です。ハ(葉・波・刃・歯など)、ハラ(原・腹など)のハは、間違いなく元はカでした。

但し、カ(ka)が直にハ(ha)とはなりません。先ず、カがクァと発音され、ク(ku)がフ(phu)に変わる事によって、クァ(kwa)→ファ(pha)、クィ→フィ(ヒ)…などと移ります。
後年、日本人はフ(pha)の発音を捨て、全てハ(ha)の音へと移って行く事になります。

 

奈良公園に鹿がいる理由
奈良公園の東部にある御蓋山〔ミカサヤマ〕春日山)の麓に春日大社があります。

神様(武神)が鹿嶋(常陸国という)から御蓋山へお越しになる時、白鹿にお乗りになって来られたという。

なぜ鹿なのか。

それはカツ・カシマ(勢力を持った地域)の音に鹿嶋(嶋の字は一字でカシマ)を充てたから。カの音に鹿の字が使われている、ただそれだけの理由でしょう。

  • 鹿は元々「カ」と呼ばれていた。この動物は雌雄がはっきりしている。角が有る方をヲツカ、角が無い方をメツカという。これがヲスカ・メスカ→ヲシカ・メシカと発音された後、ヲとメが略されシカという語がこの種の固有名(総称)となる。

何れにしろ、それ以来鹿は神様の使いとして大切に扱われるようになりました。

もう少し正確に言うと、積極的に保護をしたという訳ではなく、単に鹿に対して危害は加えないという程度だったでしょう。それは現在でも同じと思われます。

鹿にとってはそれだけで充分だったでしょう。人間は自分たちに悪さをしない。山にいると外敵に怯えなくてはならない。しかし、里におりてくれば外敵は人を恐れてやって来ないのだから。

そして、千数百年の時をかけて今の姿(奈良公園の鹿)になった。

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*「キ」の転化

キ(ki)は人類語の基本音と思われますが、様々な音(イ.シ.チ.ニ.ヒ.ミ、といった五十音図に於けるイ段の全て)に変わる事があり、現代の言葉に繋がっています。

・「キ」
 → チ→ ヂ→ ニ→ リ
   クイ(キ)→ フイ(ヒ)→ ブイ(ビ)→ ムイ(ミ)

・「キ
 →キォ → クォ(コ)→ウオ(ヲ)

 

・「キ」が元の音字例
コの音はカからもキからも移って来るので、少々紛らわしい音です。
・知.智.遲.、 ・遲、 ・受、
・比.梭.、 コ・クオ・古...
..、※ ではなくウオ)の発音になる。

 

▽ちなみに、今更ですが…
拗音の 正しい 書き方は、キャ・キュ・キョ、のように小さい「ャ・ュ・ョ」を使いますが、ア行音で示したように「ya」は「ia」と同じです。すると「k・ia」はキャですが、「ki・a」はキァになりますが、ここでは「キァ」を使うこととします。

※通常の表記である「キャ」を否定するものでは決してありません。ただ、ここでは音の変遷を分かりやすくするため、尾音はヤ.ユ.ヨではなく、敢えて母音(ア.ウ.オ)を使うだけです。(但し、アルファベットで書く場合は、kya、kyu、kyo、と「y」を用いる事とします。)

 

「五十音図」に属する音・1

音韻[012]___

◇「音の種類」

日本語の基本的な音数は、清音(純音)を仮名字で、四十八字や四十七字(「ン」を含まず)で表わす時代がありました。これはヤ行音がヤユ(エ)ヨ、ワ行音がワヰヱヲ、という音数だった事に依ります。(※音韻[005][006]参照)

現在は、ヤ行がヤユヨ、ワ行がワヲ、これに「ン」を加えた四十六音となっていますね。

但し今は、ヲとオが微妙になっています。表記時に於いては書き分けが為されますが、発音はほぼ同じ音になっている様に思います。ですから、音数は事実上四十五音かも知れません。

その他に、濁音(ガ.ザ.ダ.バの各行音)や半濁音(パ行音)なども有り、これらを合わせると70個を越える程度の数になります。

 

◇「ヤ」「ワ」

五十音図に於いて、ヤ行とワ行は独立した行音としての場所を与えられています。しかし、音の構造を分解して見ると、ヤ行音はイ+ア、ワ行音はウ+アで作られている事が分かる。よって、ヤ行・ワ行はア行音の属音という捉え方もできます。

○   イ  ウ  エ  オ   〈直音〉

○ ア  イ   ウ   エ      〈イ拗音・1〉
  イァ    イゥ   イェ  イォ    〈イ拗音・2〉  () ー ()(エ)() 〈ヤ行音〉

○ ア  イ   ウ エ        〈ウ拗音・1〉
  ウァ  ウィ  ウゥ ウェ  ウォ     〈ウ拗音・2
 ()()  ー  ()()    〈ワ行音〉

 

◇「同音異種

イ拗音とウ拗音には、更にそれぞれに二つの別があります。例えば、「ヤ」を作るイとアの、どちらが基音になるかに因るものです。

〈ヤの音〉
「ィ」基音・アの頭に予唸音・イが乗った音。
ァ」基音・イに尾母音・アが付着した音。

〈ワの音〉
「ゥ」基音・アの頭に予唸音・ウが乗った音。
ァ」基音・ウに尾母音・アが付着した音。

 

*「ア」が「ヤ」になる例
八雲クモ〕は ィアクモ。
アツ・カムツキが、ィアツ・クモツキ→ヤツ・クモ(八ツ・雲)と転じた音です。ここでのアツは「多い」、カムツキは「戦闘員」の意味で使う。よって「ヤツ・クモ」とは多くの武人→戦闘集団(軍隊)の意。

八代シロ、ヤツシロ〕は ィアシロ。
元はアキツ。ア→ィア(ヤ)になり、キツ→シロと移る。アキツ→ヤシロと転じた音に八代の字が充てられた。またアがアツと膨らんでアツキツ→ヤツシロにもなる。

〕はキァ
矢はヤブキといった。道具を表す語であるカツキのカがキァ(拗音)と発音され、ツが→フ→ブと転じ、ツキがキァフキ→イァブキになる。ここからブキの音が落ちてヤのみで呼ぶようになる。

○家〔〕はイァ
元の音はカであり、これがキァ→イァ(ヤ)と転じた音。カが家の字の音読みだからといって、漢語由来の語とは限りません。カツキがヤシキと転じて、ヤだけに短縮したとも考えられます。

 

 

*「ア」が「ワ」になる例
例えば「場合」という語をそのまま読めばバ・アイですが、人はしばしばバイと発音する。バ(ba)の母音(a)と、後ろに来るアイのアが繋がってしまい、バーイと音が流れてしまう。これに心地悪さを感じるのでしょう。

するとアイのアの音を残そうという意識が働き、アを強めるための音・ウを頭に付けます。その結果、バ ゥアイ(バイ)となります。

予唸音がイになると、バ ィアイ(バイ)にもなりますが、この音はあまり一般的では有りません。ただ、ごく稀にふざけて使う人はいます。

 

*「カワイイ」という語
十代・二十代の女子が一日のうちに、800回は発しているのではないかと思われる言葉に「カワイイ」というのがあります。主〔おも〕に視覚的なものについて肯定的な表現をする際、彼女達が使う唯一の単語です。

語彙力の問題なのか、耳目センサーが好感反応を示した時に反射的に発する生理現象音なのか、はたまた脳に染み付いた単なる口癖なのか。

そんな事はともかくも…、

カワイイという語の素性についてです。元はカ・アイ(「可愛」の字を充てる)ですね。これもまたアの頭に予唸音ウが付き、カ ゥアイ(カイ)となった音です。

 

*「祖音」
カワイイの原音は恐らく、カツ・アキラツキという語だと思われます。まず、キツキ(人の意)という語があり、頭のキがキラと膨らんでキラツキという語ができます。

キラツキはイラツコ(郎子)やイラツメ(郎女)などの言葉の元となる音です。意味は、キツキ(人)の中でも「優れた人」「高品位な人」などを表わす言葉です。今風にいうと紳士淑女といったところか。※「キリスト」という名もキラツキが原音かも知れません。

よって、キラキラしたツキ(の者)と解釈しても差し支えはないでしょう。この音に大(とても、すこぶる)を意味するアが乗り、キラツキになる。

 キツキ→キラツキ→アキラツキ。

このうち、キラツがイラス(先のキがイに、ツがスに転ずる。)と音転して、アイラスキ(愛らしき)という語になる。

更にこの語の頭に、より強調度が強い褒称の接頭辞・カツが付いて、アイラスキになる。カツのツは付属音なので省かれ、カ・アイラスキが原音となります。

カツ・アキラツキ → カ・ゥアイラツキ。
         カ  ワ  イラスキ。
         カ  ワ  イラシイ。
         カ  ワ  イ  イ。

アイが ゥアイ(ワイ)に成り、キがイに転じてカワイラシイ、ここからラシが略され「カワイ(ラシ)イ」という語がでたと思われます。

よって、カワイイはアイラシキ(愛らしき)の最上級「カツ・アイラシキ」が語源ということです。今とは意味合いが違っていました。

だからといって、現代の使い方をどうこう言うつもりは全くありません。カワイイは一つの単語として独自の意味や役割を持ち、定着しているのですから。

「日本語の音」

音韻[011]___

◇日本語の音は何個有るのか、そんな事を考え始める人は、過去に幾人も居たようです。そんな中で、ある時代「あめつちのうた」や「いろはうた」、そして「五十音図」といったものが作られました。

 

◇「あめつちのうた

十世紀の中頃(村上天皇の御代)に作られた「あめつちのうた」と呼ばれている「うた詞〔ことば〕」があります。「かな」四十八文字すべてを使って、一字の重複もせず並べています。原文はすべて「かながき」されています。

 あめ つち ほし そら  天 地 星 空
 やま かは みね たに  山 川 峰 谷
 くも きり むろ こけ  雲 霧 室 苔
 ひと いぬ うへ すゑ  人 犬 上 末
 ゆわ さる おふ せよ  硫黄 猿 負ふ 為よ
 えの えを なれ ゐて  榎の 枝を 馴れ 居て

*「えのえ」と、「え」が二つありますね。これは、先の「え(榎)」と、後の「え(枝)」が別の音との認識に依るものでしょう。(恐らく五十音図に於ける、ア行のエとヤ行のエ。)

ただ、違う音として扱うのなら、何故それ用の平仮名を作ってないのか。この音を持つ漢字が無いのでしょうか。少し怪訝なところです。
ここでの音数は四十八あります。(※ヤ行は「やゆえよ」、ワ行は「わゐゑを」を使い、「ん」は入らない。)

 

十世紀前期の頃、『倭名類聚鈔〔ワミョウ ルイジュウ ショウ〕』(和名抄) が編纂されました。この編者は、源順〔みなもとの したがふ〕(911〜 983年)という人です。

彼は、三十六歌仙の一人として知られ、和漢の学識を備えた人です。「あめつちのうた」の作者は、この源順と言われています。

 

 

◇「いろは うた

この歌が確認できる最も古い資料が『金光明最勝王經音義』(1079年)なのだそうです。日本語を作る音(濁音を除く)を洩らさず使い、且つ、七五調でまとめています。四十七音。(※ヤ行は「やゆよ」、ワ行は「わゐゑを」、「ん」は入れず。)

 いろは にほへと  色は匂へど
 ちりぬるを     散りぬるを
 わかよ たれそ   我が世 誰ぞ
 つねならむ     常ならむ
 うゐの おくやま  有為の奥山
 けふこえて     今日越えて
 あさき ゆめみし  浅き夢見し
 ゑひもせす     酔ひもせず

この「いろは歌」は、手習いを始める人の為の仮名手本(平仮名の習字見本帳=教科書)として使われ始めます。これが庶民にも広がり、一般化していきました。

 

▽ちなみに。
赤穂事件を題材にした人形浄瑠璃仮名手本忠臣蔵」という外題〔ゲダイ〕は、「いろは歌」四十七文字と赤穂義士四十七人とを重ねたものです。

 

 

たわむれにいろは歌神話編
古人〔いにしえびと〕もすなる「いろはうた」というものを、凡人もしてみんとてすなり。
四十六音。(※ヤ行は「やゆよ」、ワ行は「わを」、これに「ん」を含める。)

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 おきつとり     沖津鳥
 さくやこのはな   咲やこの花
 いろたちぬ     艶立ちぬ
 かねてわれ     かねて我
 ほにせしむすめ   惚にせし乙女
 ひそみまゆ     顰み眉
 けふもあらんを   今日も有らんを
 うえるよへ     飢える夜へ

 

邇邇芸命は美しい木花之佐久夜毘賣と出会い、求婚した。佐久夜毘賣の父・大山津見神から、姉の石長比賣も一緒にとの申し出。ところが邇邇芸命は姉を見て、「あっ…、ダイジョウブです。」と、断ってしまった。(何がダイジョウブなのか)その容姿が好みでは無かったのでしょうが、斯く言う邇邇芸命もまた結構なブ男でした。佐久夜毘賣は『どの顔で言ってるの?』と嫌悪を露わにした。

初夜こそ閨房に入れたが、たった一回、それっきり。以降は寄せ付けない。邇邇芸命は毎夜通うのだが、露骨に嫌な顔をされ部屋に迎えてもらえない。

『また、眉間に皺かな』と思いつつ、今宵も懲りず、刹那に勝てず、夜道を歩く邇邇芸命(※「はな」とは新妻を表わす言葉です)

──  このストーリーには筆者による創作が入っており、記紀に根拠を持たない箇所が含まれています。〈woguna / ミナモのヒトハ〉

 

◇「五十音図

私たちが日頃から目にする五十音図ですが、その存在は、少なくとも十一世紀には確認できるといいます。

梵語の音韻表、悉曇〔シッタン〕章(サンスクリット字母表)に基づくとされていますから、僧侶によって作られたのは間違いないところです。

ただ、五十音図といっても色々なバージョンがあったようです。作る人が違えば、それは音の並べ方も変わるでしょう。一つの例に次のようなのが有ります。(「や行*」と「ら行*」の位置が今とは違う。)

*《反音作法〔ハンオン サホウ〕》明覚〔寛治七年(1093年)、写本・醍醐寺藏〕

 阿伊烏衣於  あいうえお
 可枳久計古  かきくけこ
 夜以由江与  やいゆえよ*
 左之須世楚  さしすせそ
 多知津天都  たちつてと
 那尓奴祢乃  なにぬねの
 羅利留礼癆  らりるれろ*
 波比不倍保  はひふへほ
 摩弥牟怡毛  まみむめも
 和為于惠遠  わゐうゑを

※左側の漢字は現在使われている平仮名の元字ではないものも有ります。

 

◇十世紀、十一世紀の頃、日本語について研究する人が多くいたようですね。この時代は清少納言紫式部が生きていた時代でもあります。

自分たちが使う言語(日本語)への関心が高い時代だったのでしょう。そんなムードの中で作られた五十音図は、殆んど変わらぬ姿で千年の時を経た今もなお、日本語の音韻表として比類のない価値を持ち、存在し続けています。

 

 

◇「上代特殊仮名遣

七・八世紀(またそれ以前)の書き物で使われる漢字のうち、真仮名で表記される字を見ると、後代に於いては同じ音として扱われる字でも、当時は別個の発音だったのが有ったようです。

例えば、「岐」と「紀」は現代に於いて同じ「キ」と読みますが、上代では異なる「キ」だったという事です。そして、これらは表記に於いて混同する事なく、区別は徹底されています。

キヒミケヘメコソトノモ(11音)と、濁音のギビゲベゴゾド(7音)の音には二種類の文字があり、使われ方は明確に分けられているという。(※アンダーライン付きは濁音を含む)

 あ い う え お
 か  く  
 さ し す せ 
 た ち つ て 
 な に ぬ ね 
 は  ふ  ほ
 ま  む  
 や   ゆ   
 ら り る れ 
 わ ゐ う ゑ を

青色付き(よ・ろ)は古事記にのみ見られる。

 

「かな」では書き分けられていない、これらの語字(赤字)に該当する漢字は二種類あり、今は、甲類・乙類と呼ばれます。それがどんな発音だったのか、どう違っていたのかについてはよく分かっていません。

 

ただ、かなに依る「い・ゐ」「え・ゑ」の書き分けは、甲類乙類を見る上で、一つのヒントになるように思います。

 

奈良時代の末頃から、この書き分けは曖昧になってゆき、平安時代に入ると完全に混ざってしまいます。但し、書き分けが消えたからといって、必ずしも、その発音まで無くなるとは限りません。

 

奈良時代以前に存在した表音文字使用法という事で、上代特殊仮名遣〔ジョウダイ トクシュ かな づかい〕と、橋本進吉博士によって名付けられました。

尤も、現代から見て“特殊”ではあっても、当時の人にすれば全く“普通”の事だったでしょう。徹底して書き分けが為されているというのは、そういう事です。

 

「マツキ」

音韻[010]___

「マンザイ
 漫才という芸能があります。現在は、しゃべくり漫才コント漫才、などと呼ばれます。また音曲漫才という分野もありますね。

近代漫才の始まりは、しゃべくり漫才であり、横山エンタツ花菱アチャコのコンビが始祖です。このお二人が背広にネクタイという出〔いで〕立ちで漫才革命を起こします。

それはそうと、この芸能をなぜマンザイというのでしょうか? 現在の表記は漫才ですが、元は万歳(萬歳)だったところを見ると、何かオメデタイ事だったのでしょうね。

 

◇「言祝の儀〔コトホギのギ〕
 プロの笑芸人など存在しながった時代、ですから随分と昔です。宮廷では神職(中臣系の人)が、節目ごとに大王、王家、国家の繁栄が、永遠に続くという内容の祝詞〔のりと〕を唱える行事がありました。

一般庶民の中でも、年末年始や事始めの時期になると、「厄〔やく〕、祓いましょう」という口上を唱えながら、家々の門〔かど〕に立って縁起の良い言葉を並べて祝儀(金銭)を受ける、といった人達が、少なくとも18世紀の頃には存在していました。このような風習が、芸能としての原点に在ったのでしょう。

*これが一つの芸として始まった頃は萬歳と書きました。二人の人(太夫〔タユウ〕と才蔵〔サイゾウ〕)が、大道芸人風の衣装をまとったり、紋付袴(正装)姿に身をやつし、というのが定型でした。

演じるのは歌舞音曲と共にメデタイ台詞や験〔ゲン〕を祝う言葉並べて、人々の気持ちをポジティブにする、という芸事でした。

そんな雰囲気を残していた最後の萬歳師といえば、砂川捨丸さんですね。
「萬歳のぉー、骨董品でしてねぇ」
と言って、鼓をポン! いつもこのセリフから始まります。ほぼ絶滅決定種のような位置付けで、昭和40年代のころまで老齢ながら活動されてました。

 

 

「萬歳」という言葉
 萬歳(万才)という字をそのまま読めば「マンサイ」です。また「マンザイ」や「バンザイ」(マが濁音・バになる)とも読みます。

他にも、マントシなどにもなります。この「万歳」という語は東アジア一帯で使われていますが、元は中国語なのだそうです。

 

*「辞書類の説明」によると、万歳は読んで字の如く、一万年を意味するのだそうです。そこから縁起の良い言葉として、使われるようになったと説明しています。

  • よろずよ。万年。
  • 古、酒を飲めば必ず寿を上り、慶を称して万歳という。上下通用して慶賀の辞としたが、のちには酒を飲まなくても、めでたい時には叫ぶようになった。初めは一私人にも用いていたものが、唐代からは主として天子に限られるようになった。
  • いつまでも長寿。
  • 祝すべき。めでたい。→ 万歳。
    大漢和辞典

 

  • 元々は中国に於て使用される言葉で「千秋万歳」の後半を取ったもの。 万歳は一万年で皇帝の寿命を示す言葉であり、本来皇帝に対して以外では使わなかった。
  • 「万歳」はその字の通り「万の歳」で、「一万年」であり「長い年月」という意味だった。
  • この言葉は中国の皇帝に対してのみ使われた言葉で、最初に使われたのは不老不死を願った秦の始皇帝(紀元前259~210年)だと言われている。
    ウィキペディア

 

*総じて、万歳を 万年や 一万年 の意としていますね。字義をそのまま鵜呑みにした解釈となっています。まるで八百萬神〔ヤオヨロズの カミ〕を「800万柱の神様」と言っているのと変わりません。

 

 

「マツキ」という音
 マツキという日本語があります。魂の寿命、即ち永遠の命を意味する言葉です。それにより、マツキから、→マスイ→バンザイと転じた言葉は、最大級の祝いの言葉として、色々な場面で用いられる様になります。

 ○マツキ→マン スイ→マンサイ(万歳)
          →バンザイ

 ○マツキ→マッツキ→マツタイ(末代)
          →マヅタキ(めでたい)

 ○タツ・マツキ→タ・マスキ→タマスイ(魂)

*タマシイ(魂)とは、タツ・マツキが原音であり、タマスイ→タマシイと移った語。玉敷〔タマシキ〕という言葉も音(タ・マツキ)を貰っていると思われます。

接頭辞の「タ」は善いものに付けられる音です。スケ→タ・スケ(助)、カラ→タ・カラ(宝)、ミ→タ・ミ(民)、メツモノ→タ・メツモノなどのタです。
※○タツのツは省き文字。タ・メツ・モノ(生きていく上で欠くべからざるもの)は、メシモノ(衣食)の古語。一つは、タメツモノ→たべもの、と移る語。飯〔メシ〕。また一つは、お召物〔メシモノ〕(着物)などのメシ。

*マツキは「めでたい」という語の語源でもあります。また「萬寿院〔マンジュイン〕」といった名称の元ともなります。マツキのそれぞれの音が膨らんで、マツキ→マ・ヅ・イ→マ・ジュ・イ、またバンヅイン、などと移ります。

 

「マツキ」という日本語
 能舞台などの背景には、枝振りが立派な松の絵が描かれています。日本画の題材としても松は常連です。日本人は松の木に特別な思いを待ってます。何をそんなに好むのか。長寿だから? 確かに松は長生きの樹木ですね。

だけど、決定的な理由は其の名が「松木〔マツのキ〕」だからではないでしょうか。或いは、長生きだからマツキの名になったのかも知れません。

〔いず〕れにしても、マツキという言葉を先人たちは慶祝の語として重んじた、その事は間違いありません。

そして、マツキは日本語です。その歴史は少なくとも倭建命の時代には存在してます。(実際はもっと古いでしょう)

マツキがマツキになり、この音に萬歳の字が充てられる。これが元となって、マンザイ、バンザイ、といった言葉ができる、と考えるのが自然ではないでしょうか。これをどう考えますか?

 

◇中国語の萬歳の始まりは何でしょう。永遠を意味する語として萬歳(万年)と表現した、それがホントに語源なんでしょうか。

それとも漢族語にマツキという言葉、また、その類似音を持つ言葉があるのでしょうか?

漢字=中国語、漢字で書かれたものは全て漢族語、という信仰…、それに依る条件反射的思考…、かも知れません。

 

「バ」は「ハ」の濁音か?

音韻[009]___

 

「ハ」の濁音

 ハ〈ha〉の右肩に濁点を付けてバ〈ba〉ですから、ハの濁音がバになるということに、何の疑いも無いでしょう。

例えば、橋〔ハシ〕は天神橋〔テンジンシ〕、火〔ヒ〕は焚き火〔タキ〕、本〔ホン〕は単行本〔タンコウン〕など、或る単語の後ろにハ行音が来ると濁音になる。常識ですね。

ただし、作業服〔サギョウク〕、綱引き〔ツナ・キ〕などは清音のままです。また、足踏み〔アシ・ミ〕は濁音ですが麦踏み〔ムギミ〕は清音、落ち葉〔オチ・〕は濁音ですが枯れ葉〔カレ・〕は清音。必ず濁音になるという事でもないようです。この使い分けは何でしょう?

 

 

「清音」と「濁音」

 カとガ、サとザ、タとダなど、清音と濁音の作り方を見るとき、発声時に於けるプロセスの、何処を変えることで声の出し分けが為されているのでしょう。

実際に声を出して違いを探ろうとしても、これが、俄〔にわ〕かには違いが分かりません。ほぼ同じです。

ところが、「ハ」と「バ」に限っては、音の作られ方が明らかに違います。「ハ」は始めから口を大きく開けて発声するのに対し、「バ」は口を閉じた状態から、これを開くことで作られます。違いますね。どうゆう事でしょう。

 

 

「バ」は、何の濁音?

「ハ」とは作り方が異なる「バ」ですが、では「バ」と同じような形で作られる声って有るのでしょうか。ア.カ.サ.タ.ナ.ハ.マ…、ヤ.ラ.ワ、有りました。「マ」の音が同じです。閉じた唇を開いて出す声です。

すると「バ」は「マ」の濁音ということか! そういえば、漢字などでは既に日常的に見ていますね。

馬(マ・バ)、美(ミ・ビ)、武(ム・ブ)、
米(メ・ベィ)、母(モ・ボ)。

これを見ればバはマの濁音のようです。馬美武米母の音読みは、マミムメモであり、バビブベボです。

かつて、桂枝雀さんが「すみませんね」と言うところ「スビバセンネ」と言っていたのを思い出します。

 

○「アカメ(赤目)」
 子供の頃、イタズラをしてくる相手に「あっかんべー」などと、言葉の反撃をしましたよね。その際、指先を目の下に当て、これを少し押し下げて下瞼〔マブタ〕の内側を見せる仕草を同時にします。この部分は常に充血しているので赤目といいます。つまり、赤目を見せながら、アッカンベー(アカメ)と言う訳です。

アカメとはアカツメ(本来はツの音が入る)という語で、アホウ、バカ、ホウケなどと同様に「愚か者」の意味を持った言葉でした。ド・アホウ→ダボ、といった方言や、ブ・アカツメ→バカメ、という語になります。(※ドやブは物事を強調する時に乗せる音です。)

このアカメと下瞼内側の赤目とが同音であったところから、赤目を見せつつ、アカメ(各音を強めた、ア・カ・メー)と言ったのでしょう。この「メ」が「ベ」に転じて、アッカンベーになりました。

ただ、今の子供たちがこの仕草をやってるのを見た事がありません。どうやら、すでに死語となっている様です。

 

他にも・・・、
「マツキ」という語
 第一音のマがマンと撥ね、マツキになり、更に転じてバンザイ(万歳)の音になります。

 マツキ→マ ツキ→マンスイ→バンザイ。

▽ちなみに。
「マツキ」は永遠の命をいい、「カツキ」は肉体の寿命を表します。カツキ→カッツキ→コツフキ→コトブキ(寿)と転じます。(※言祝〔コトホギ〕とは別語)

また、アツ・カツキが転じて、→ヌアツ・カフト→ナツ・カヒト→ナガヒト(長人=長命な人)になります。

《仁徳記》大雀が建內宿禰に対して「・・・那許曾波 余能那賀比登」〈・・・汝こそは、世の長人〔ナガヒト〕〉といっていますが、この時の建內宿禰は、かなりの高齢だったのでしょう。

長生きとはいっても、今とは時代が違いますから、せいぜい五十代、いっても六十代、というところでしょうか。(一説に三百歳超?だとか。学者の方々が、真顔〔まがお〕で、仰っておられるらしい。)

 

話を戻します。

 

「マリ」
 ある物体から、別の物体が出てくるのを、マリ、マレ、マロ、などと言います。原音は ム・アリ(産む・有り=出現・存在)ですが、これが縮んでマリになります。

須佐之男命が天照大御神の国にやって来て、やらかした狼藉の一つ。
《神世記》「亦其於聞看大嘗之殿、屎麻理此二字以音」〈屎〔クソ〕麻理〔マリ〕散〔チラカシ〕
「麻理此二字以音」〈マリ。この二字は音を以て〉とあります。麻理の二字は、仮名字(音書き)です、との注(小文字)を示します。

*大(クソ)も小(シコ)も、その排泄行為をマリと言いましたが、厩舎で働らく人達は、馬の尿をバリと言うようです。元の音はマリだったと思われますが、何故か濁音でバリです。

元は、別の単語が頭に乗っていて、のちに乗ってた語が落ちて、バリだけが残ったのかも知れません。例えば、シコ・マリがシコバリになり、シコが消えてバリだけになる。

今時の言葉でいう「バエ(映え)」みたいなものです。バエは「ハエる」が元ですが、インスタ・バエからインスタが省かれた表現ですね。濁音残りのパターンとしては同じです。
※インスタ・バエのバエはマエからの転ではなく、ハエ→バエと転じるバエですね。オトコ・ハエ →オトコ・バエ(男・映え)と同じです。但し、オトコ・バエは更に転じて、→オトコマエ(男前)となります。

通常は清音があって、これが濁音に転じますね。ところが、マ行音とバ行音に限っては、マ→バ、バ→マ、といった双方向に移る音です。厳密にいうと、バ→マの場合はブ→ム、と表記すべき音なので少し事情は違います。

 

 

二種類の「ba」

「マ」の濁音が「バ」であるというのは間違ってはいないようです。しかし、それたけでは 、△〔サンカク〕です。正解ではありません。何故なら、「バ」を濁音に持つ音は一つではないからです。

*完全に口を閉じて開くマの濁音の「バ」と、唇を窄めて開く「フゥ」の濁音「ブゥ」があります。

  1. (ma)」唇を閉じ完全遮断の後、開放することによる声音。濁音はバ。
  2. (phu)」唇に少し隙間を持たせた半遮断の後の開放音。この音は口を窄めて作る声音(完全に閉じない)なので、上下の唇が接触してしまうと簡単に「ブ」に移ります。
    そして、ブ(バ)からム(マ)へ、ファ→ブァ→ムァと移るので、ムァ(マ)は濁音の濁音、“濁々音”と言えるかも知れませんね。
  • (u)」唇口形はフと同じですが、喉で遮断開放をすればウ(母音)になる。よって、ウァ()→ヴァ(バ)になる。
  • (tsu)」ツ→フ→ブと転じる音。

*古代や上代の人にとって、声音加工(遮断開放)をしていない音「ハ(ha)行音」は、言葉を作る声音には使わなかったのでしょう。
※(遮断開放:[003]「声音の作り方」参照)

 

 

「バ」は「ハ」の濁音ではない

 私たちが「ハの濁音はバである、と信じて疑わない」のは単なる思い込み、勘違いによるものです。

*人間が発する声は様々に転化します。それは遮断開放という操作の過程で起こり得るのです。声帯振動音をそのまま出し、一切の加工をしないh音は、そもそも声音転化自体が無い音です。

それは、濁音も存在しないという事です。更にいうと、半濁音(p音)を「ハ行のカナの受け持つ音韻」とする事もできません。(※h音・ハヒフヘホの音のうち、ヒ(hi)とフ(hu)の音は、状況により例外。)

 

*現在、私たちが使うハ行音はh音ですが、かつて、長い間(数千年、いや数万年単位かも知れない)ずっとph音でした。ハナ(花)はファナ、ホコ(矛)はフオコ、と発音していました。

いつの頃からか、

日本人はファ(pha)の発音を捨て、徐々にハ(ha)に変えてゆきます。そして、主〔おも〕に本州を中心にh音へと移行していきます。

にもかかわらず、

「ハ」の濁音を「バ」としているのは、ハ行音をファ(pha)、フ(phi)、フ(phu)、フ(phe)、フ(pho)と発音していた頃、その濁音がブ(ba)行音だった、その名残りが今も続いているだけです。

 

*“勘違い”と言い放つのは、ちょっと乱暴かも知れませんが、ある種の慣習的思い込みに依るもの、というのは事実でしょう。

だからといって、

しっかり定着してしまってる現実を見ると、今さら変える必要もないのかな、と考えます。正しい、間違い、なんかより大事なものがあるでしょうから。(文法があっての言葉ではなく、言葉のパターンを整理したのが文法です)

 

落ち葉〔オチ〕になったり、枯れ葉〔カレ〕になったりするのは「清音濁音、どっちでもいい。好きな方でどうぞ。」という事です。

それは、ハ(ha)とバ(ba)の二つの音に転化上の繋がりは無いが、習慣として残っているものを否定はしない、という“空気”がこれを是認します。

 

▽ちなみに。
 英単語が社会の中で使われる頻度が増してきた事で、日本人の口にもph音が少し戻って来ましたね。ただ、充分に浸透している訳ではありません。

iPhoneの発音にも、アイフォン、アイホン、この両方が飛び交っています。アイフォンが正しい? 確かに。

でも、どっちでもいいでしょう、日本語として使っているのですから。国民全員が言語学者になる必要はない。

そう思います。

 

「予唸音」2

音韻[008]___

◇「建角身
 京都・下鴨神社賀茂御祖神社)の祭神を建角身命といいます。建角身はタケツノミと読む、否、タケツノミの音に建角身の字を充てた、というのが正しいです。

元の音はツキツミであり、大王に「仕える者」を表す語で、月読、槻弓、月夜見(これらは後ろのツがヤ行音になる)なども同源です。この語は性別、職種は問いません。

 

*タケツミの音をそのまま書けば建津身ですが、ミに予唸音・ンが付きンミ、さらにヌミ(ン→ヌ)と発音されます。「ミ(身)」は人を表しますが、下の者をいう時「ミ」の音を使うようです。

タケツ ンミ→タケツヌミと転じ、この音に建角身の字が充てらたと考えられます。(角はツノでは無く、ツヌが元の音)

タケツヌミという転化音に褒称の接頭語・カツが乗り、カツ・タケツヌミとなりますが、地位の高いツキツミ(仕える者)という事でしょうね。ただ、この時点では単なる高官なのか、或いは大臣なのか将軍なのかは分かりません。

 

◇少し話は逸れますが…。
春日大社(奈良)の祭神・武甕槌命〔タケ・ミカ・ツチ〕や、吉田神社(京都)の祭神・建御賀豆智〔タケ・ミカヅチ〕などは武人です。

元の音は、ツキツミ・キツ・カツキといい、転じてタケツミ・イカヅチといいます。よって、武甕槌は「武ツ甕槌〔タケツミ・イカヅチ〕」であり、建御賀豆智は「建ツ御・賀豆智〔タケツミ・カヅチ」と読むべきでしょう。

伊邪那岐命迦具土神の頸を斬った時、御刀の手元に著く血に成る神の名・建御雷之男神。大国主に国譲りを迫った建御雷之男神。これらも皆、建ツ御・雷〔タケツミ・イカヅチ〕です。

ここでの御の字は身の上級文字として使われます。音はミまたはムィであり、ミでは有りません。

 

 

◇さて、建角身ですが、この名もまたツキツミの呼称を持つ武人です。ただ、身という文字の音は、ミまたはミです。

 カツ・ツキツ ンミ・キツ・カツキ
 カモ・タケツヌミ・イツ・カヅチ
 賀茂   建 角  身    雷

これが元の音でしょう。ここからイカヅチが省かれてカモ・タケツヌミと呼ばれたのが、下鴨神社の祭神・賀茂建角身になった。

 

*建角身〔タケツヌミ〕は本来この後にイカヅチが付いていた。では除かれたイカヅチは何処へいったのか? 祭神・賀茂別雷大神として、上賀茂神社賀茂別雷神社)に坐ます。

要するに、下鴨神社上賀茂神社、これらは共にタケツミ・イツカヅチが祀られており、初代(御祖)をタケツヌミとして下鴨神社に、子孫をワケ・イカヅチとして上賀茂神社に祀った、という事ではないでしょうか。

神社の由緒に依りますと、建角身命の娘である玉依媛が天津神の子を産みますが、これを別雷としています。つまり、祖父と孫の関係ということになります。(賀茂建角身命玉依媛命賀茂別雷大神

 

天津神(王)の子であっても、全てが王族になる訳では有りません。しかし、表記は「建御」であっていい。にも関わらず何故「建角身」なのでしょうか。

恐らく、八咫烏だからです。ヤタカラスとは、ィアツ・カラツキ(多くの・戦闘員)が、ヤツ・カラシ→ヤタ・カラス(ヤカラ)と移った音であり、武装戦闘集団をいいます。

ただし彼らは大王の直接の配下ではなく、同盟関係にはあるけど、他部族の戦闘員です。

自国の大王に仕える高級武官は「建ツ御〔タケツミ〕」、他国の天津神(外部からは別の名、例えば「大物主」と呼ばれる)の配下は「建角身〔タケツ ンミ〕」という事でしょう。

 

*古くから巨椋池周辺には多くの人が住み、幾つものクニがあったに違いない。その頃すでに武人を祀るための立派な社が巨椋池北部に有った。もちろん先住の民が造った社です。

その後、支配者集団が変わっても、軍人を敬う気持ちは引き継がれます。(この辺が日本人の特徴です)

ただし、建ツ御〔タケツ ムィ〕ではなく、建角身〔タケツ ヌミ〕として…。

ずっと後年、平安京がこの地に造られた事によって、これら施設の重要度が一気に増してゆくのは言うまでも有りません。

 

 

◇「」の文字の用途
 漢字には訓読みと音読みがありますが、もう一つ仮名字があります。仮名の音は多くの場合、漢音を使いますね。しかし、日本語の音を使うことも頻〔よく〕あります。

  • 生駒山は膽駒山〔イコマヤマ〕とも書きますが、膽は胆と同字であり音読みはタンです。しかし、ここではイコマの「イ」に膽の訓読み(熊の胆〔くまのい〕などのイ。)を、仮名字として使っています。

 

*「野」の音読みはヤ、訓読みはノですね。ところがこれ以外に、仮名として使う事が有ります。その場合の音は「ヌ」になります。もしかしたら古代や上代の日本語で、野はヌと発音していた “古い音” だったのかも知れません。

カシマ(土地)や、カサキ(突き出た土地)といった語には、しばしば頭にキツが乗り、キツ・カシマとか、キツ・カサキなどと表現します。

この場合、発音はキツ・カシマ、キツ・カサキ、となる事があります。カに予唸音ンが付き「カ」、また「ガ」といった鼻濁音になる。

そこからキツが省かれると、ン(付属音)がヌ(独立音)に変わりヌカシマ、ヌカサキになり、この音に野島〔ヌ・カシマ〕や、野崎〔ヌ・カサキ〕の字を充てたりします。

野島をノジマ、野崎をノザキ、などという読みは、後代の人がその時代の読み方にしたに過ぎません。

 

*沼島はヌカシマのヌの音に沼の字を充てた表記です。淡路島の南にある沼島には、自凝神社があります。

ヌ・カツマ→ンヌ・カルシマ→オノゴロシマ(磤馭慮嶋、淤能碁呂嶋、自凝嶋)にもなるし、ヌ・カツマ→ヌハツマ(ヌバタマ)にもなる音です。

これらの「ヌ」は、予唸音「ン」が独立音となった音と考えられます。

 

「予唸音」1

音韻[007]___

 

◇「しり取り遊び

 A : あめ(雨)。
 B : メ、メ、メロン…、あー、ダメだ。
 A : はやッ!

 しり取り、という遊びがあります。「何ですか、それ。」という人、日本人なら、ま、いないでしょう。この基本ルールは「ン」で終わる言葉を言ったら負け、というものですね。何故こんなルールがあるのか。日本語にはンから始まる単語が無いから。簡単な話です。

 

 

◇「予唸音〔ヨテンオン〕」とは。

 基音を発声する直前から出し始める声で、通常は鼻から息を出す「ン」の声になります。口から息を出すと「ヌ」や「ウ」にもなり、さらに他の母音に変わってゆく事も多い。

単語の頭に始発音を付けるこの様な発声上の現象を、ここでは仮に予唸音という名で呼ぶ事にします。(※よって、辞書には載っていません)

 

 

「ン」から始まる語

 予唸音は色々な音に付きますが、中でも最も影響を受けるのがマ行音です。m音は唇を閉じた状態からこれを開いて発するという声です。それに依り基音を出す前に鼻から息が出る事があり、これが「ン」になり易くなります。

例えば、マ→マ→ウマ(馬)、ミ→ミ→ウミ(海)、メ→メ→ウメ(梅)、モ→モ→イモ(芋)、モ→モ→オモ(主、面)などは、元々一音の語だったものにンが付き、さらにンが母音に変わって二音語となったものです。

今は第一音が母音になっている是らの言葉ですが、ほんのちょっと前まで、最初の音は「ン」でした。馬はンマ、梅はンメ、芋はンモと発音されています。

ここで使うンの音は、正規の音ではなく付属音として始まりました。しかし、発音として定着していた時代があったのも事実です。

平安時代、馬はムマと発音されていたといいますが、牟馬や牟麻の表記を見てそう思うのでしょう。牟無无などの字はムと読みますが、古代や中世の日本では、ンの音を表わすのにも使う文字です。

仮名とは日本語の音を表すため、同音または近い音を持つ漢字を用いた文字をいいます。ところが「ン」の音を表そうとした場合、これを表す漢字が見当りません。そこで「ム」の音を持つ文字を、便宜的に使ったと思われます。

 

*ウマイ(上手い、旨い、美味)という語など、今でも「ンマ!」なんて言い方をしますよね。ウマイの原音はマツ(またマツキ)といい、優れたモノ、最高の、といった意味を持つ語です。発声に力が入〔はい〕れば入るほど、予唸音は付きやすくなりす。

 

*しり取り遊びのルールは、近年の日本語の中で生まれたものであり、例えば奈良時代には必要の無いルールだったかも知れません。尤も、その時代に、しり取り遊びが有ったかどうかは不明ですが。

 

 

◇「」と「

 太古に於いて、人を表わす基本音はキですが、ミの音も同じ意味で使われます。上代になると、これらの音に予唸音・ンが付き、「キ」や「ミ」といった音になる事があります。このンが後に母音に転じます。

キ」のンがウに変わり、キが→チ→ヂと移り、キ→ウチ→ウヂ、と転じた音に氏の字が充てられます。

ミ」のンは、ン→ウ→オと移り、ミ→オミ、と転じた音に臣の字が使われます。

人を表わすのに二つの音がある訳ですが、何故でしょうか。その扱いを見ていると一つの用途として、武系にはウヂ(氏)、文系にはオミ(臣)を使っている様に思われます。

古事記》の編纂協力者である稗田阿礼は文系です。ですから、別名「語臣〔カタリノオミ〕」といいます。よって「姓稗田」の読み下しを、「姓〔ウヂ〕は稗田…」などとするのは理屈に合わない。姓の字は素直にカバネと読んでいいでしょう。

 

*キやミの音はそのままだと半拍音ですが、単体でも半拍で使うのは原始の発音です。文明が進むと洋の東西を問わず、一音語は一拍で発音する様になります。ならばキィやミィの形でも良さそうなものですし、実際その発音も使われます。他にも、クやムといった拗音も使っていたようです。

そんな中、ウヂやオミは「王に仕える者」を示す固有呼称として、これらの音を使ったのではないでしょうか。大伴氏は武人、中臣は文人、とすぐに分かります。後に姓(集団名、階級や地位の名)に使われる様になってゆきます。

 

中臣鎌足は文系の家に生まれ、当初は家職を継いだのでしょう。ところが途中から軍事に関わり始め、軍人として生涯を終えます。

亡くなる直前、天智天皇はその働きに報いるべく、大臣の位、大織冠、そして「藤原氏〔フジハラノウヂ〕」という一代姓〔イチダイ・カバネ〕を贈ります。

藤原氏とは、藤原という氏〔ウヂ〕ではなく、藤原氏という姓〔カバネ〕です。

 カツ・カラツキ(大将軍)
 クシ・ハラヌ ンキ
 クジ・ハラノ ン
 フジ  ハラノウヂ

この様に転化して美しい一代姓(藤原氏フヂ・ハラノウヂ)が作られ、その功績を讃えたのでしょう。ただし、この姓は鎌足個人のものです。

息子以降は父が賜〔たまわ〕った一代姓を借用し、藤原を勝手に家の名にしてしまった、という事でしょう。

 

 

◇「犬の声

 犬はアンと鳴いている。アの声は口を大きく開けることで作り出します。だが犬は口を窄めてる状態から声を出し始めるので、まずウから発声が始まり、ついでアの声へと移り、ウ・アンという声形になります。

このウとアが拗合してワとなり、アン→ワン、の鳴き声が作られます。犬もまた予唸音を使った拗音で鳴いている、という事になります。

 

▽ちなみに、アメリカの犬はアンではなくアウと鳴き、さらに予唸音もウだけでは無くヴとも発音するらしく、アウ・アウ(バウ・ワウ)と鳴くらしい。

勿論これは “ききなし” であり、人間側の問題ですね。アメリカの犬が英語で鳴いている訳では有りません。欧米人はしばしば予唸音にヴを使う。