音韻[007]___
◇「しり取り遊び」
A : あめ(雨)。
B : メ、メ、メロン…、あー、ダメだ。
A : はやッ!
しり取り、という遊びがあります。「何ですか、それ。」という人、日本人なら、まあ、いないでしょう。この基本ルールは「ン」で終わる言葉を言ったら負け、というものですね。何故こんなルールがあるのか。日本語にはンから始まる単語が無いから。簡単な話です。
◇「予唸音〔ヨテンオン〕」とは。
基音を発声する直前から出し始める声で、通常は鼻から息を出す「ン」の声になります。口から息を出すと「ヌ」や「ウ」にもなり、さらに他の母音に変わってゆく事も多い。
単語の頭に始発音を付けるこの様な発声上の現象を、ここでは仮に予唸音という名で呼ぶ事にします。(※よって、辞書には載っていません)
◇「ン」から始まる語
予唸音は色々な音に付きますが、中でも最も影響を受けるのがマ行音です。m音は唇を閉じた状態からこれを開いて発するという声です。それに依り基音を出す前に鼻から息が出る事があり、これが「ン」になり易くなります。
例えば、マ→ンマ→ウマ(馬)、ミ→ンミ→ウミ(海)、メ→ンメ→ウメ(梅)、モ→ンモ→イモ(芋)、モ→ンモ→オモ(主、面)などは、元々一音の語だったものにンが付き、さらにンが母音に変わって二音語となったものです。
今は第一音が母音になっている是らの言葉ですが、ほんのちょっと前まで、最初の音は「ン」でした。馬はンマ、梅はンメ、芋はンモと発音されています。
ここで使うンの音は、正規の音ではなく付属音として始まりました。しかし、発音として定着していた時代があったのも事実です。
平安時代、馬はムマと発音されていたといいますが、牟馬や牟麻の表記を見てそう思うのでしょう。牟無无などの字はムと読みますが、古代や中世の日本では、ンの音を表わすのにも使う文字です。
仮名とは日本語の音を表すため、同音または近い音を持つ漢字を用いた文字をいいます。ところが「ン」の音を表そうとした場合、これを表す漢字が見当りません。そこで「ム」の音を持つ文字を、便宜的に使ったと思われます。
*ウマイ(上手い、旨い、美味)という語など、今でも「ンマ!」なんて言い方をしますよね。ウマイの原音はマツ(またマツキ)といい、優れたモノ、最高の、といった意味を持つ語です。発声に力が入〔はい〕れば入るほど、予唸音は付きやすくなりす。
*しり取り遊びのルールは、近年の日本語の中で生まれたものであり、例えば奈良時代には必要の無いルールだったかも知れません。尤も、その時代に、しり取り遊びが有ったかどうかは不明ですが。
◇「氏」と「臣」
太古に於いて、人を表わす基本音はキですが、ミの音も同じ意味で使われます。上代になると、これらの音に予唸音・ンが付き、「ンキ」や「ンミ」といった音になる事があります。このンが後に母音に転じます。
「ンキ」のンがウに変わり、キが→チ→ヂと移り、ンキ→ウチ→ウヂ、と転じた音に氏の字が充てられます。
「ンミ」のンは、ン→ウ→オと移り、ンミ→オミ、と転じた音に臣の字が使われます。
人を表わすのに二つの音がある訳ですが、何故でしょうか。その扱いを見ていると一つの用途として、武系にはウヂ(氏)、文系にはオミ(臣)を使っている様に思われます。
《古事記》の編纂協力者である稗田阿礼は文系です。ですから、別名「語臣〔カタリノオミ〕」といいます。よって「姓稗田」の読み下しを、「姓〔ウヂ〕は稗田…」などとするのは理屈に合わない。姓の字は素直にカバネと読んでいいでしょう。
*キやミの音はそのままだと半拍音ですが、単体でも半拍で使うのは原始の発音です。文明が進むと洋の東西を問わず、一音語は一拍で発音する様になります。ならばキィやミィの形でも良さそうなものですし、実際その発音も使われます。他にも、クイやムイといった拗音も使っていたようです。
そんな中、ウヂやオミは「王に仕える者」を示す固有呼称として、これらの音を使ったのではないでしょうか。大伴氏は武人、中臣は文人、とすぐに分かります。後に姓(集団名、階級や地位の名)に使われる様になってゆきます。
*中臣鎌足は文系の家に生まれ、当初は家職を継いだのでしょう。ところが途中から軍事に関わり始め、軍人として生涯を終えます。
亡くなる直前、天智天皇はその働きに報いるべく、大臣の位、大織冠、そして「藤原氏〔フジハラノウヂ〕」という一代姓〔イチダイ・カバネ〕を贈ります。
藤原氏とは、藤原という氏〔ウヂ〕ではなく、藤原氏という姓〔カバネ〕です。
カツ・カラツキ(大将軍)
クシ・ハラヌ ンキ
クジ・ハラノ ンチ
フジ ハラノウヂ
この様に転化して美しい一代姓(藤原氏=フヂ・ハラノウヂ)が作られ、その功績を讃えたのでしょう。ただし、この姓は鎌足個人のものです。
息子以降は父が賜〔たまわ〕った一代姓を借用し、藤原を勝手に家の名にしてしまった、という事でしょう。
◇「犬の声」
犬はアンと鳴いている。アの声は口を大きく開けることで作り出します。だが犬は口を窄めてる状態から声を出し始めるので、まずウから発声が始まり、ついでアの声へと移り、ウ・アンという声形になります。
このウとアが拗合してワとなり、ウアン→ワン、の鳴き声が作られます。犬もまた予唸音を使った拗音で鳴いている、という事になります。
▽ちなみに、アメリカの犬はアンではなくアウと鳴き、さらに予唸音もウだけでは無くヴとも発音するらしく、ヴアウ・ウアウ(バウ・ワウ)と鳴くらしい。
勿論これは “ききなし” であり、人間側の問題ですね。アメリカの犬が英語で鳴いている訳では有りません。欧米人はしばしば予唸音にヴを使う。