「言語の発芽と進化」

音韻[001]___

◇「言語起源

 この国で作られた書き物のうち、その年代が示されているものとして最も古いのが、ハ世紀初頭の《古事記》です。(※以後《記》とする。)

ただ、今我々が見ている其れは、全て書き写されたものであり原書ではありません。

《記》は、資料として残る天皇家系図と、舎人語臣〔カタリノオミ〕が口伝する噺から成るとされます。しかし、それだけではなく、諸家が持っていた書き物も資料として集められたらしい事は「序」に示されています。

その資料として使った書き物類もまた、更に古い時代の書き物を写し伝わってきた物も含まれていたに違い有りません。そして、安萬侶は言います。

 亦 於姓日下 謂玖沙訶 〈日下をクサカといい〉
   於名帶字 謂多羅斯 〈帯をタラシという〉
   如此之類 隨本不改 〈この如くの類、
                  本の隨に改めず〉

この「如此之類 隨本不改〈此の如くの類〔タグイ〕は、本〔まき〕のまにまに改めず〉」の意味は、伝承資料に使われている文字、また因襲的表記などはそのまま使い、徒〔イタズラ〕に書き換えたりしないという事。

つまり《記》の神名人名に付いて、声音による伝承と、文字による伝承によって、言葉そのモノを伝えようとしている、と見る事ができます。それは神や人の名称だけに限るものでは無いでしょう。

 

 

◇《記》には、漢字を表音文字(仮名)として使っている箇所も数多くあり、これによって当時の言葉を “見る” ことができます。

ただ、今も意味がよく分かっていない語や、読み方も現代の音で良いのかどうか判然としない字もあります。だが、それらもまた貴重な資料です。

この解らない言葉も視点を変えて、現代からではなく太古の人類語の位置から眺めれば、それまでぼんやりとしていた言語推移の輪郭線が、また違う形で現れてくるかも知れません。

太古の人類語から眺める? どうやって?

文字が無かった遠い昔の言葉となると、やはり知り様が無いように思えます。とは云え、人々は途切れる事なく言葉を使い続けているのであって、大袈裟ではなく原始から現代まで言葉は確実に繋がっています。

それは、視覚資料は無くとも、現代の言葉の中に音の資料は沢山ある、と考えれる事ができます。これを遡り手繰って行けば、人類語の起源(の近く)に辿りつくことも可能かも知れません。

 

初期のコトバがある程度推測できれば、そこからまた違った音の変遷も見えて来るのではないでしょうか。
下流からだけ眺めるのではなく、濫觴〔ランショウ〕からの流れと一緒に下って行く。それをする為に、極端に言えば “人類語の始まり” まで何とか探っていけたらと、そんな事を思っています。

 

動植物が環境に合わせて、その機能や姿の微改造を繰り返してきたのと同様に、言葉もまた声音作りの身体部位と共に変化をします。そこには言語進化論とでも呼ぶべき姿があります。

地球上には様々な人種がいますが、その先祖を辿れば一点に行き着くといいます。言葉も同様に、全ての言語は繋がっている。

遠い国であって言葉も違う、言語文化に於いて直接的な影響や関係は全く無いとしても、基本言語音の位置まで遡っていった先では、同じ姿ではないでしょうか。

 

これより “ 初期言語 ” 捜しを、試てみます。