「キツキ」

音韻[002]___

◇「〔いにしえ〕の文字

 世界中には様々な文字が有ります。文字とは、対象となるモノを図形化(また記号化)するところから生まれたのでしょう。

漢字の場合、山、川、木など、其処に存在するモノから、さらに上、下、右、左、といった空間的なモノ。そのうち、大、小、多、少、或いは数、といった量的なモノ。そして、心のさま(感情)を表わすモノなどに拡大してゆく。

文字は時間が経っても、物理的に存在する限り言語を残す事ができます。どんなに古い言葉であっても文字になって残っていれば、その文字の音や意味が研究によってある程度分かってくるかも知れない。たとえ玩具の望遠鏡で火星を眺める位の解像度であったとしても、見えはします。

 

◇「音 + 心 → 意

 文字は声によるコトバがあった上で、その後に生まれた表現物です。音コトバより文字が先、など有り得ませんよね。

漢字は表意文字です。しかし、古代また上代の日本人に於いては表音文字としても使いますし、それは日常的でした。

音読み(漢音)のみならず訓読み(ヤマト語)でさえ、音文字として使っていました。そこには「音書き」「訓書き」という現代人には馴染みのない文字扱いが有りました。(※万葉仮名という表現は、仮名文字があたかも奈良時代後期に発明されたかのような誤解を招きます。)

古代以前の日本語(古事記などに出てくるコトバ)の意味を探ろうとする時、その表記が音書きか訓書きかを見る必要があります。その上で、その名称に使われる文字を調べるなり、その音を優先するなりすべきでしょう。

現代の私達が使っている言葉であっても、古くから存在する語であれば、どんな漢字が充てられていようと惑わされず、音が先かも知れないという思いも、持った方がいいでしょう。

 

◇「〔いにしえ〕の声音

 声は、出た瞬間に過去のモノとなり、記憶には残っても形としては存在を留める事はできません。記憶に残るとは云っても、時と共に薄れたり忘れたりします。その人の命が終われば、その人の記憶も消滅します。

よって、一つの纏〔まと〕まった記録や物語を残すのは確かに難しい。ただし、言語そのもの伝承は可能です。

声は身体の一部を使って作られますが、数十万年前の人類の発声器官がどんなもので、どんな声音を出していたのか。

これに関する何らかの説を唱えたとしても、科学的根拠や物理的証拠などは有りません。
それでも言葉の成り立ちを求めようと思えば、想像、推測、といった極めて曖昧な手段を採用するしか無いでしょう。

答えが解らないモノに付いては、好き勝手な事が言え、誰でも参入できるという自由さが有る一方、救い難いガラクタ説も溢れる事になります。そんな誹謗〔ソシリ〕に怯えつつ(実は、全く気にせず)、次の様な絵を思い描いてみました。

 

◇「キツキの発見

 人類で最初の哲学者は誰か。そんなこと、分かる筈も有りません。でも、居たでしょう。
人類の黎明期に於ける哲学者の一人であったろうと思われる者が、こんな事を考えていました。

『私はキ(身)だが、これを操る別のキ(心)が内にあるようだ。思うに、“私”とは二つのキ、即ち、キツキ(肉体と意識)で出来ているのではないか。人間だけではなく全ての生き物は、このキツキ(キとキ)によって成っている』

彼はそう推断し、その事を仲間にも説いた。人々はこれを支持し、受け入れた。

 

また、ある者
 どれくらいの時が過ぎただろうか。此処にまた一人の哲学者が物想いに耽っていました。

『確かに私達はキツキであろう。だが、どうも其れだけでは無いような気がする。このキツキ(身と心)もまた、別のキによって制御されているのではないか。

私のキ(身)や、キ(心)も、自分とは違う何かの意思に従っているように思われる時がある。
そうか…、キ(身)とキ(心)には、それぞれ「司るキ(魂)」が居るという事ではないか。
「キ(身)のキ(魂)」と「キ(心)のキ(魂)」
この二つのキツキが合体し、一個の生命体として存在しているのだ。つまり、私という物体は、キツキ・キツキという事だ』

彼は、一つの真理を見つけたと感じた事だろう。そして、人々にこれを教示した。また、キツキ・キツキのうち、身と心のキの寿命は短いが、魂のキは永遠の命を持つ、という事も付け加えた。

 それにしても、何故こんなにも「キ」の音ばかりなのだろうか。それは恐らく、ヒトというイキモノの鳴き声が、未だ「キィ」だったからに違いない。

 

◯とある動物園で、親と手を繋いで歩いていた小さな子供が、柵の向こうを指差して「さっきから、あのおサルさん、なんかキイキイ云ってるね」と見上げた親が、ひとこと云った。
「キイ〔そうね〕

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▽ちなみに。
 「身」と「心」、この二つの文字の音読みは共にシンですね。シという音はキから移って来ます。つまり、シンはキがキンと撥ねて、キ→キン→シンと転じた音でしょう。

「魂」の音読みはコンですが、右側の鬼だけだとキの音です。恐らくこの文字の音・コンも、キ→キン→コンと移った。心身魂は全て「キ」が元の音、と見るができます。

 一音語は一拍の長さにする、というのが人類語の特徴の一つのです。ここでは、キがキンやコンと撥ねる事で一拍にします。

英語にある、ユウ(you)、ミィ(me)、ヒィ(he)、シィ(she)、などの音もキから転じた音であるのは、まず間違いの無いところです。キは、キ→キゥ→イゥ(ユ)という転じ方もしますし、ミ、ヒ、シ、などの音がキから移って来るのは日常的です。つまり、これらの英単語は全て「キィ」と言っているようなものです。

 

*人類語は「キ」の音から始まり、複数音をもった単語の始まりは「キツキ」であった、と、考えて良いのではなでしょうか。そして、人はキツキ・キツキという。

人の名は苗字(家の名)と個名(身の名)で出来ています。英語でいうファミリーネームとファーストネームというやつ。

二つの呼称を以って一人の名とする、この形を私達は当たり前の事として受け容れています。しかし、もしかして、これは人類の“DNAが持つ潜在意識”としての記憶に、キツキ・キツキが有るからではないだろうか、と想像してしまいます。