政治家は「それが票〔ヒョウ〕になり得るか」
商売人は「それが儲〔もうけ〕になり得るか」
男は「それが兵〔ブキ〕になり得るか」
女は「それが飾〔かざり〕になり得るか」
芸人は「それが笑〔わらい〕になり得るか」
酔人は「それが酒〔さけ〕になり得るか」
彼等は眼を持たず、
ただ、それぞれに反応する触覚のみに従い、
燈火の明りに引き寄せられる虫のように、
反射的に行くべき方向を探る。
社会とは、歴史とは、
そんな生き物たちによって、作られる。
ほらまた、羽虫が舞っている。
政治家は「それが票〔ヒョウ〕になり得るか」
商売人は「それが儲〔もうけ〕になり得るか」
男は「それが兵〔ブキ〕になり得るか」
女は「それが飾〔かざり〕になり得るか」
芸人は「それが笑〔わらい〕になり得るか」
酔人は「それが酒〔さけ〕になり得るか」
彼等は眼を持たず、
ただ、それぞれに反応する触覚のみに従い、
燈火の明りに引き寄せられる虫のように、
反射的に行くべき方向を探る。
社会とは、歴史とは、
そんな生き物たちによって、作られる。
ほらまた、羽虫が舞っている。
音韻[006]___
拗音には、基音の後ろに母音が付着した一般的なキァ(キャ)やクァ(クヮ)といった音と、基音の頭に予唸音(母音)が乗って作られる形もあります。
例えば、イ+アの「ヤ」や、ウ+アの「ワ」でも、どちらが基音かによって、それぞれ二種類の成り立ちがあり、それは元の音が全く別の音の言葉である事を意味します。
「ア」の声を強く出した場合、「ヤッ!」また「ワッ!」の音になることがあります。これは本来発するべきアの前に勢い付けのイやウが始発音になり、ィア(ヤ)や、ゥア(ワ)という形になるからです。
それに対して、イやウが基音であり、その後ろに尾母音・アが付着した、イァ(ヤ)、ウァ(ワ)といった形も有ります。
a. ィア(ヤ)、ゥア(ワ)
◎アの頭にイやウの予唸音が乗った音。
b. イァ(ヤ)、ウァ(ワ)
◎イやウの後ろに尾母音・アが付い音。
幾つかの例を挙げると、次の様な音があります。
○ヤツ(八)の「ヤ」
アツに予唸音のイが乗って出来た形です。
アツ→ィアツ(ヤツ)
と転じた音で、ここでの基音はアであり、aのヤという事になります。
○ヤマ(山)の「ヤ」
カツカがカヤマに転じた音なので、ここでのヤはツが元の音です。つまり、ツマがヤマになる。
ツ→チゥ→イゥ→イァ(ヤ)
と移った音で、ヤの基音はツ→チ→イ、と転じたイであり、bのヤという事になります。
○ワカ(若)の「ワ」
アカ(水)の頭にウが乗った音です。
アカ→ゥアカ(ワカ)
と転じて出来た音なので基音はアであり、aのワです。
○ワシマ(輪島)の「ワ」
カシマがワシマに移った音、またはカツ・カシマがワツ・カシマと移った音(カはクァと発音)です。
クァ→ファ→ウァ(ワ)
と転じる音であり、基音はウ(クから移った音)なので、bのワで出来ています。
このように、耳には同じ音であっても、源流を辿っていけば異なる音である場合があり注意を要します。
*では例えば、ヤマトのヤはどちらでしょうか? アが元ならアマト、ツが元ならツマト、というのが原音となりますね。
そして、此処でのヤマはィアマツ(天津)であり、イァ・マ(山)ではない事を知れば、その名の由来も見えてくるでしょう。
焼津〔ヤイヅ〕は、原音・アキツに予唸音・イが乗り、キがイに転じて、アキツ→イアイヅ、と転じた音でしょう。
《上代特殊仮名遣》を著された橋本進吉博士は、その著書などで「上代の日本語に拗音は存在しなかった」という旨の説を述べておられる。
日本人が拗音を使い始めるのは外国語(漢語)が入って来たのち、漢字の発音に対応する必要性からという事らしい。
だが、記紀には八尋殿、八重垣、八百萬など、八の字が目白押しです。
八の字はヤの音に充てたものであり、ヤは拗音です。
淤遠はオだが、男尾袁はヲ(ウォ)です。
紀はキだが、岐はクィです。
ハ行音はh音ではなくpha音(ファ)です。
そして、これらの発音は外国語が入って来るより遙か以前、この地に住み始めた人達の言葉には既に存在し、使われていたに違いないのです。
*上代に於いて、漢字に関わっていたのは一握りの人達だったでしょう。人口の大半を占める一般の人は漢字とは無縁の暮らしをしていた筈です。すると、当時の民衆が使う言葉(日本語)は、直音だけで成り立っていたという事でしょうか。かなり無理のある話です。漢字の移入と拗音は、なんの関係も無いでしょう。
そもそも、世界の言語の中に拗音が存在しないものなど有り得るのでしょうか。
例えば…、「カ」はしばしば「ハ」や「ワ」に変わります。しかし、これはカ〔ka〕がハ〔ha〕、ワ〔wa〕になるのでは無く、クァのクが→フ→ウと転じて、クァ→ファ→ウァになるのです。この音転は、拗音があって初めて起こり得るものです。
上代特殊仮名遣とは、直音と拗音の書き分けに他ならないと思います。
音韻[005]___
拗音という語に対する説明は、書物によって意味するところに違いはなくとも、その表現の仕方は色々です。
◇これらの説明は拗音の表記方法であり、その構造を表わすものではありません。また、見る限りの説明では言語(古代語)の成り立ちや転化を考える上で少々不便を感じます。よって、ここでは拗音に付いて、次の定義を示すこととします。
*一般的には母音融合と呼ばれますが、それによって作られる音節が拗音です。拗音には二種類あります。
①「イ+母音」(仮にイ拗音と名付ける)
②「ウ+母音」(仮にウ拗音と名付ける)
此れに依り、五十音図に於けるイ列音(イキシチ…)とウ列音(ウクスツ…)、それぞれの音尾に母音を付けることで、全ての行音(ヤ行音・ワ行音を除く)に拗音を存在させる事ができます。
ヤ行音とワ行音、この二つの行音自体が既にア行の拗音です。独立した音として五十音図に含めるべきか、少々疑問を感じなくも無い。
「ヤ行音」はア行のイ拗音(イ+ア行音)、「ワ行音」はア行のウ拗音(ウ+ア行音)であり、次のような形です。
[ヤ行音]
⚫︎イ+母音 → イァ・ * ・イゥ・イェ・イォ
(ヤ) (ユ) (ヨ)
[ワ行音]
⚫︎ウ+母音 → ウァ・ウィ・ * ・ウェ・ウォ
(ワ)(ヰ) (ヱ)(ヲ)
イとウは母音の中でも、アエオに比べて唇の形が自然な状態に近いので、まず最初に出し易い音です。
*では、イとウ意外の母音(アエオ)を頭に置く拗音は無いのでしょうか。過去を辿れば何処かの時代には有ったかも知れません。
アエオを基音とした拗音を作ってみると、次のような形になります。
ア+母音 → * ・アィ・アゥ・アェ・アォ
エ+母音 → エァ・エィ・エゥ・ * ・エォ
オ+母音 → オァ・オィ・オゥ・オェ・*
これらを見ると、拗音としての条件「一音節として扱う」というのが難しいのが分かります。これらの音の行く末は…。
この事により、拗音の状態のまま一音節としての姿を維持するのが難しい。それによって消えていったと考えられます。
これは、ヤ行音のエ列音・イェ、ワ行音のイ列音・ウィ(ヰ)、エ列音・ウェ(ヱ)も後に同様の運命をたどりますね。拗音は半拍音(一音節)でなければなりません。よって、一拍音(二音語)になってしまった時点で、拗音から外されてしまいます。
ヰやヱなど長い間(恐らく人類言語史の大半)、拗音の位置に在り続けた音たちだったのでしょうが、近年の日本人の耳と口は、その判別能力を放棄してしまいました。
見方を変えれば…、
イァ(ヤ)、イゥ(ユ)、イォ(ヨ)、
ウァ(ワ)、ウォ(ヲ)、
これらの音は結合しても一音として留まれる音という事なのでしょう。
*尚、ここではイとウを基音として、その後ろに尾母音が付くという形を並べていますが、その逆もあります。
すなわち、基音(母音)の頭に、始発音としてイまたウが付くという形(イア、ウア、など…)です。これらもまた紛れもなく拗音です。
▽「ゑ」という音
ところで、「ゑ(ヱ)」という仮名文字は、ワ行音のエ列音(ウェ)に使われますが、「ゑ」という平仮名の元となってる字は「恵〔ケイ〕」ですね。何故、ワ行音に入っているのでしょうか。
元はケの拗音クェだった。このクが→ウに変わってウェ(ヱ)と発音されるのでワ行に入っている、という事でしょう。
しかし、同じ拗音でもキェだったら事情は違ってきます。この恵は古代に於いて、どう発音したのでしょう。
クェなら→ウェ(クがウに転じる)になりワ行音、キェなら→イェ(キがイに転じる)でありヤ行音、という事になります。
ワ行音に入っているという事はクェだったのでしょうけど、現代の「ケイ」の音を見るとキェイだった可能性もあるのではないか、と思っています。キェイなら→イェイの音になり、ヤ行のエ列音になります。
▽ちなみに。
イ+ア → イァ(ヤ)と成る音。
基音イは、遮断開放(音韻[003]声音の作り方・参照)されて作られる音です。しかし、後ろの音は加工されていないから「ア」ではなく「ハ」になって「イハ」の音でも良さそうなものですが、そうはならない。何故か?
これは、イとアがほぼ同時に発せられていることで、尾音のアにも遮断開放の効果が及んでいるからでしょう。
それは二つの音で作られているのに半拍音、という拗音の特徴によるものです。コレこそが “一音節として扱う” 拗音の、拗音たる所以といっていいでしょう。
〈拗音・2〉に続く…。
音韻[004]___
家族の間だと「あれ」や「それ」といった言葉で意図が通じる事もありますよね。しかし、他人に対してはあまり役に立たない。
初期の人類は、それ程多人数ではない一つのグループで暮らしていたと思われ、全体が一つの家族のようなものだったでしょう。
その段階では日常的に接している者同士であり、言葉に使われる音も、意思の疎通を図る上で最小限のもので良かったかも知れない。
また、キという一つの声であっても、ほんの僅かな抑揚や強弱の違いによって様々な意味を含ませる、という方向に発展し得るでしょう。
ところが人間の数は徐々に増え続け、集団も大きくなってくると、集落は自然に分離しグループ分けが成されてくる。距離ができる事でそれぞれの集団の中だけで使われるちょっとした音の違いも出てくる。
さらに、人の増加は個人の移動を促進させ、群れを出た者たちによって新たな家族が形成され始めます。
居住空間や環境が変わり、異なる群れの間にできる物理的距離は、言語にも僅かな距離を生じさせ、影響を及ぼし始めます。
それは、微妙な音の違いによる以心伝心にも似た遣り取りを不可能にさせ、そこに何かと齟齬が生じ始めます。
そこで意図をはっきり具体的に示すための言葉が必要になってきますが、キの声だけではもはや限界がやってくる。
キはk音であり、それまでも他のk音を発することもあったでしょうが、明確な声音として使うことはあまり無かったと思われます。
そんな中で次第に「カ」の音が、しっかりとした役割りを持った音として使われ始める。そして、キとカを組み合わせた単語が生まれます。
キツキ。キツカ。カツキ。カツカ。
これが人類の創り出した基本四単語です。さらに加えて、ア=大、ツ=小。また、ツツ=動き、ツ=停止。この四つの付属音を絡めて、様々なコトバが作られていった考えられます。
人類言語の大方がこの形で作られていると言っても過言ではない、と(密かに)思っています。ところが、その後の情報量の増加は益々激しく、k音もまた飽和の時がやって来る。
基本四単語はその後も変わることは有りませんが、声音は遂にk音を飛び出し始めます。
言葉の数は概念の数に比例します。そして、その事は脳の成長に於いて、極めて大きな影響を及ぼす事となるのです。
脳の発達が言葉を増やすのか、語彙の増加が脳の進化を促進させるのか。これはニワトリとタマゴではなく、同時進行と考えるべきでしょう。
音韻[003]___
人間の声は声帯振動によって作られますが、一切の加工を行わず声をそのまま出せば「フ(h音)」になる。口を大きく開ければ「ハ(ha)」、窄めれば「ホ(ho)」となるハ行音です。この音から他の声を作るのですが、ここでは声作りの工程を声音加工と呼ぶことにします。
声音加工をする部位は、喉(母音)、奥舌(k・g)、先舌(s・t・n・r)、唇(m・b・p・f)、の四ヶ所です。この他に、鼻音(撥音)があります。
これらの部位によって声は作られているのですが、初期の人類は先舌及び唇の声音作り機能がまだ充分発達していなかったのでしょう。よって専ら、母音とk音、これに付属音を混ぜた声音が主流であったとた思われます。
声音を作る方法は極めて単純です。声音加工部位を使って、吐く息を一旦止めた後、これを開く、という作業を行います。これにより声種が作られます。この行為を仮に「遮断開放」と呼ぶことにします。
遮断にも二種類あり、完全遮断のア・カ・タ・ナ・ラ・マ・バ・パの各行音と、隙間を設ける摩擦遮断(半遮断)のサ行音、またファ行音があります。
*二種の「ファ音」
古代日本語のハ行音は、ファ・フィ・フゥ・フェ・フォ、という発音だったと思われます。後に作られる五十音図のハ行音も正確にはファ行音です。ファの発声音には、f音とph音の二つの形があります。
日本人の場合は「窄唇のph音」に依るファであり、西洋語にある「歯唇のf音」のファは使われません。
声帯振動音がそのまま発声音になるh音は、独立した声音として認知されていなかったと思われます。音声加工が為されない音は発声しづらかったのでしょう。
現代でも欧米人はh音が苦手なようで、日本語のハナ(花)はアナ、ヒト(人)はイト、といった様にh音が母音に変わるのをよく見掛けます。恐らく、古代日本人も同じだったのではないでしょうか。
ただし、声音加工された音を伸ばした場合、伸ばした部分の音はh音として扱います。
例えば、アの長音を表記する場合、現代ではアー、アァ、アゝ、などと書くでしょう。ところが、上代(記紀の記事)では、阿波になります。
「波」の字は、ハとファの二つの音で使いますが、初期の頃はアハ(Aha)の音に対し阿波の文字を充てます。二文字書きでも一音として表わす字として使ったと思われます。後に波の字が独立してアファ(A・pha)と発音され二音の語となります。
さらに、ファ→ウァ(フがウに転じる)となる事でアウァ(アワ)になります。この音に同音の淡の字を充てたのが淡路や淡海の表記です。
阿波や淡の元音はアの長音アハ、つまり大を意味する語ですが、他にオホやウフの音にもなります。
*大穴牟遲神(大名持・大奈母智)は、意富阿那母知、於保奈牟知とも書き、大〔オホ〕の音に意富や於保の字を充てます。
この富や保の字も付属音としてのホ(ho)と、独立音としてのフォ(pho)があり、オホ(Oho)は一音、オフォ(O・pho)は二音の語として扱います。
※「ハ」と「ファ」とは。例えば「アー」という発音のアは、遮断開放による音なのでアと書いて問題はないです。しかし、伸ばす部分の音は声音加工が為されていませんから、h音になります。
よって、アの長音は「アハ(Aha)」になります。ところが現代では(先にも示しましたが)しばしば「ああ」などと書くのを見かけます。
これは現代人より古代人の耳の方が、間違いなく優れている事を意味します。
全ての動物の中で、最も多くの声音を持つのは人間でしょう。声音加工部位が四つも有るのが決定的です。これにより、一つの音が様々な音に移ってゆくのを可能にしています。
○「キ」の声はk音であり、奥舌での遮断開放に依って作られる音なので、キ以外の音(カ・ク・ケ・コ)にもなります。
また、キは五十音図に於けるイ段の全ての音に移るし、さらに、ヤ行音にも転化する音です。
○「カ」は多くの場合、カ・ンカ・キァ・クァ、(直音、予唸音、拗音)を基本とし、ここから様々は音に転じる。
○「ア」などの母音は喉で音声加工を行いますが、唇の開き具合(大小)でア・オ・ウの音を作り、唇を横に開く事でイとエの音を作ります。
○「ツ」は当初、声というより舌先が作る音でした。例えば、アツのツは母音の無い「a・t」であり、「a・tsu」でも「a・tu」でもありません。
水〔ミヅ〕の発音は「mi・d」であり、「mi・zu」や「mi・du」とは違いました。
つまり、ツの始まりは基音を一拍にする為の付属音としての役割りでした。その後、存在感が増してゆくと同時に、尾母音を従えた、ツ(tu、tsu)、ヅ(du)、ズ(zu)、のような独立音となっていきます。
▽ちなみに。
長音の場合、アはアァでは無くアハ(伸ばす音はh音)になる事は説明しました。しかし、拗音の場合、例えば「キァ」の後ろの音は「ア」(母音)のままでh音には成りません。
(これに付いて、詳しくは《音韻[005][006]》参照。)
音韻[002]___
世界中には様々な文字が有ります。文字とは、対象となるモノを図形化(また記号化)するところから生まれたのでしょう。
漢字の場合、山、川、木など、其処に存在するモノから、さらに上、下、右、左、といった空間的なモノ。そのうち、大、小、多、少、或いは数、といった量的なモノ。そして、心のさま(感情)を表わすモノなどに拡大してゆく。
文字は時間が経っても、物理的に存在する限り言語を残す事ができます。どんなに古い言葉であっても文字になって残っていれば、その文字の音や意味が研究によってある程度分かってくるかも知れない。たとえ玩具の望遠鏡で火星を眺める位の解像度であったとしても、見えはします。
文字は声によるコトバがあった上で、その後に生まれた表現物です。音コトバより文字が先、など有り得ませんよね。
漢字は表意文字です。しかし、古代また上代の日本人に於いては表音文字としても使いますし、それは日常的でした。
音読み(漢音)のみならず訓読み(ヤマト語)でさえ、音文字として使っていました。そこには「音書き」「訓書き」という現代人には馴染みのない文字扱いが有りました。(※万葉仮名という表現は、仮名文字があたかも奈良時代後期に発明されたかのような誤解を招きます。)
古代以前の日本語(古事記などに出てくるコトバ)の意味を探ろうとする時、その表記が音書きか訓書きかを見る必要があります。その上で、その名称に使われる文字を調べるなり、その音を優先するなりすべきでしょう。
現代の私達が使っている言葉であっても、古くから存在する語であれば、どんな漢字が充てられていようと惑わされず、音が先かも知れないという思いも、持った方がいいでしょう。
声は、出た瞬間に過去のモノとなり、記憶には残っても形としては存在を留める事はできません。記憶に残るとは云っても、時と共に薄れたり忘れたりします。その人の命が終われば、その人の記憶も消滅します。
よって、一つの纏〔まと〕まった記録や物語を残すのは確かに難しい。ただし、言語そのもの伝承は可能です。
声は身体の一部を使って作られますが、数十万年前の人類の発声器官がどんなもので、どんな声音を出していたのか。
これに関する何らかの説を唱えたとしても、科学的根拠や物理的証拠などは有りません。
それでも言葉の成り立ちを求めようと思えば、想像、推測、といった極めて曖昧な手段を採用するしか無いでしょう。
答えが解らないモノに付いては、好き勝手な事が言え、誰でも参入できるという自由さが有る一方、救い難いガラクタ説も溢れる事になります。そんな誹謗〔ソシリ〕に怯えつつ(実は、全く気にせず)、次の様な絵を思い描いてみました。
人類で最初の哲学者は誰か。そんなこと、分かる筈も有りません。でも、居たでしょう。
人類の黎明期に於ける哲学者の一人であったろうと思われる者が、こんな事を考えていました。
『私はキ(身)だが、これを操る別のキ(心)が内にあるようだ。思うに、“私”とは二つのキ、即ち、キツキ(肉体と意識)で出来ているのではないか。人間だけではなく全ての生き物は、このキツキ(キとキ)によって成っている』
彼はそう推断し、その事を仲間にも説いた。人々はこれを支持し、受け入れた。
「また、ある者」
どれくらいの時が過ぎただろうか。此処にまた一人の哲学者が物想いに耽っていました。
『確かに私達はキツキであろう。だが、どうも其れだけでは無いような気がする。このキツキ(身と心)もまた、別のキによって制御されているのではないか。
私のキ(身)や、キ(心)も、自分とは違う何かの意思に従っているように思われる時がある。
そうか…、キ(身)とキ(心)には、それぞれ「司るキ(魂)」が居るという事ではないか。
「キ(身)のキ(魂)」と「キ(心)のキ(魂)」
この二つのキツキが合体し、一個の生命体として存在しているのだ。つまり、私という物体は、キツキ・キツキという事だ』
彼は、一つの真理を見つけたと感じた事だろう。そして、人々にこれを教示した。また、キツキ・キツキのうち、身と心のキの寿命は短いが、魂のキは永遠の命を持つ、という事も付け加えた。
それにしても、何故こんなにも「キ」の音ばかりなのだろうか。それは恐らく、ヒトというイキモノの鳴き声が、未だ「キィ」だったからに違いない。
◯とある動物園で、親と手を繋いで歩いていた小さな子供が、柵の向こうを指差して「さっきから、あのおサルさん、なんかキイキイ云ってるね」と見上げた親が、ひとこと云った。
「キイ〔そうね〕」
▽ちなみに。
「身」と「心」、この二つの文字の音読みは共にシンですね。シという音はキから移って来ます。つまり、シンはキがキンと撥ねて、キ→キン→シンと転じた音でしょう。
「魂」の音読みはコンですが、右側の鬼だけだとキの音です。恐らくこの文字の音・コンも、キ→キン→コンと移った。心身魂は全て「キ」が元の音、と見るができます。
一音語は一拍の長さにする、というのが人類語の特徴の一つのです。ここでは、キがキンやコンと撥ねる事で一拍にします。
英語にある、ユウ(you)、ミィ(me)、ヒィ(he)、シィ(she)、などの音もキから転じた音であるのは、まず間違いの無いところです。キは、キ→キゥ→イゥ(ユ)という転じ方もしますし、ミ、ヒ、シ、などの音がキから移って来るのは日常的です。つまり、これらの英単語は全て「キィ」と言っているようなものです。
*人類語は「キ」の音から始まり、複数音をもった単語の始まりは「キツキ」であった、と、考えて良いのではなでしょうか。そして、人はキツキ・キツキという。
人の名は苗字(家の名)と個名(身の名)で出来ています。英語でいうファミリーネームとファーストネームというやつ。
二つの呼称を以って一人の名とする、この形を私達は当たり前の事として受け容れています。しかし、もしかして、これは人類の“DNAが持つ潜在意識”としての記憶に、キツキ・キツキが有るからではないだろうか、と想像してしまいます。
音韻[001]___
この国で作られた書き物のうち、その年代が示されているものとして最も古いのが、ハ世紀初頭の《古事記》です。(※以後《記》とする。)
ただ、今我々が見ている其れは、全て書き写されたものであり原書ではありません。
《記》は、資料として残る天皇家の系図と、舎人語臣〔カタリノオミ〕が口伝する噺から成るとされます。しかし、それだけではなく、諸家が持っていた書き物も資料として集められたらしい事は「序」に示されています。
その資料として使った書き物類もまた、更に古い時代の書き物を写し伝わってきた物も含まれていたに違い有りません。そして、安萬侶は言います。
亦 於姓日下 謂玖沙訶 〈日下をクサカといい〉
於名帶字 謂多羅斯 〈帯をタラシという〉
如此之類 隨本不改 〈この如くの類、
本の隨に改めず〉
この「如此之類 隨本不改〈此の如くの類〔タグイ〕は、本〔まき〕のまにまに改めず〉」の意味は、伝承資料に使われている文字、また因襲的表記などはそのまま使い、徒〔イタズラ〕に書き換えたりしないという事。
つまり《記》の神名人名に付いて、声音による伝承と、文字による伝承によって、言葉そのモノを伝えようとしている、と見る事ができます。それは神や人の名称だけに限るものでは無いでしょう。
◇《記》には、漢字を表音文字(仮名)として使っている箇所も数多くあり、これによって当時の言葉を “見る” ことができます。
ただ、今も意味がよく分かっていない語や、読み方も現代の音で良いのかどうか判然としない字もあります。だが、それらもまた貴重な資料です。
この解らない言葉も視点を変えて、現代からではなく太古の人類語の位置から眺めれば、それまでぼんやりとしていた言語推移の輪郭線が、また違う形で現れてくるかも知れません。
太古の人類語から眺める? どうやって?
文字が無かった遠い昔の言葉となると、やはり知り様が無いように思えます。とは云え、人々は途切れる事なく言葉を使い続けているのであって、大袈裟ではなく原始から現代まで言葉は確実に繋がっています。
それは、視覚資料は無くとも、現代の言葉の中に音の資料は沢山ある、と考えれる事ができます。これを遡り手繰って行けば、人類語の起源(の近く)に辿りつくことも可能かも知れません。
*初期のコトバがある程度推測できれば、そこからまた違った音の変遷も見えて来るのではないでしょうか。
下流からだけ眺めるのではなく、濫觴〔ランショウ〕からの流れと一緒に下って行く。それをする為に、極端に言えば “人類語の始まり” まで何とか探っていけたらと、そんな事を思っています。
*動植物が環境に合わせて、その機能や姿の微改造を繰り返してきたのと同様に、言葉もまた声音作りの身体部位と共に変化をします。そこには言語進化論とでも呼ぶべき姿があります。
地球上には様々な人種がいますが、その先祖を辿れば一点に行き着くといいます。言葉も同様に、全ての言語は繋がっている。
遠い国であって言葉も違う、言語文化に於いて直接的な影響や関係は全く無いとしても、基本言語音の位置まで遡っていった先では、同じ姿ではないでしょうか。
これより “ 初期言語 ” 捜しを、試みてみます。